11日(木)〜14日(日)/18日(木)〜21日(日)/23日(火)〜25日(木)
各日11:00〜18:00
*作品(2015年オリジナルカレンダー・カードなど)を限定販売いたします。
聞き手◉平岡京子(vow's space)
1969年生まれ、大阪・滋賀在住。 イラストレーターとして、広告、書籍や雑誌の挿絵、装画、カレンダーなど、複数のタッチで幅広い分野のイラストを手掛けながら、アクリル絵画や立体作品『森ビト』を制作。個展、企画展、アートイベントなどで発表を続けている。深尾さんHPはこちら
小学生の頃、写生の時間に空を飛んでいるヘリコプターを描いて、「ヘリコプターは止まっていないでしょ!」と先生に叱られたことは、大人になった今も忘れられない思い出ですね。僕は絵を描くことだけが得意で、大好きな子どもだったので。 大きくなってからも絵を描くことは変わらずに好きで、学生時代も描き続けていました。でも、僕は人とのコミュニケーションや団体行動がとても苦手で、結局大学も途中でやめてしまったんです。 そんな僕のためにお金を出して画廊を押さえ、「個展をしなさい」と言ってくれたのは一昨年亡くなった父でした。人に作品を見せること、見られることの大切さを伝えようとしてくれたのだと思います。 この初めての個展では作品がたくさん売れて、本当に嬉しかったことをよく覚えています。会場では、口べたな僕でも自分の作品についてですからいくらでも話せます。張り切ってしゃべりました(笑)。 この体験のおかげで人と話すことが苦痛ではなくなり、人とのコミュニケーションは楽しいものなんだと思えるようになりました。 でも今思えば、作品を買ってくださったのは父の親しい人たちばかりで、皆さん応援の気持ちで買ってくださったのだと思います。本当に若かったんですね、そのときは、そういう大人の配慮に全く気づかなかったんですから。 この画廊で受付をしていた女性が今は僕の奥さんで、その辺も父には頭が上がりません(笑)。
グラフィックデザイナーを辞めてきり絵画家になった父は、絵を仕事にする、絵で食べるという人生の選択があることを、身をもって教えてくれました。その頃僕はまだ子どもでしたから母から聞いたのですが、仕事を辞めた父は、朝は漁港にアルバイトに行き、午後からはネクタイをして、きり絵の師である加藤義明氏の元に通っていたそうです。その後は学校の講師や教室の運営をしながら、僕たちを養い、制作を続けていました。 息子の僕も30歳までに芽が出なければ諦めようと思いながら、絵を仕事にするイラストレーターを目指して歩き出しました。おかげさまで、27歳くらいから少しずつ仕事がもらえるようになり、今日に至っています。 イラストレーターの仕事は、依頼を受けて、それを絵にすることです。クライアントがあって、その希望に応えることが仕事ですから、自分がいただいた仕事でも100%自由に描ける訳ではありません。 僕の父は100%の自分の世界を求めてグラフィックデザイナーを辞めましたが、僕は仕事以外の時間に自分の好きなことを自由に描いて作品を制作しています。自分が楽しんで描き、それを見る人が楽しんでくれること、それが何より嬉しいんです。
僕の作っているキャラクター"森ビト"は、木の精、森の精のような感じのものです。森はリアルな森ではなく、心の中に広がる森のこと。時折、自分で撮影した写真に言葉をつけることもありますが、それはあくまで森びとの世界への導入のつもりです。10人が見たら、10人とも違う受け止め方をする、そんな想像の世界のことなんです。 昨年、この森ビトがインターネット上でロシアの一人の女性の目にとまり、連絡を取り合うようになりました。この方が取り結んでくれた縁で、サンクトペテルブルグやウラジオストックなどで森ビトの写真が展示されたり、恵まれない子どもたちのための森ビト作りのワークショップや劇などが開かれたりしているようです。僕の作るものが誰かにとって元気の源になれたことがとても嬉しいですし、森ビトが一人歩きをしているんだなと感じています。
昔、写生をしたり写真を撮る父について、よく森の中を歩きました。そこでたぬきや鹿など動物の足跡を見つけると、「ああ、今は何も見えないけれど、夜になるとここに動物たちが集まってきて何かしているんだな」と想像してわくわくしました。その感覚は、今も変っていないように思います。 大人になった今もメダカを眺めているのがすごく楽しいし、そのうち自分も小さくなって、水の中から上を眺めるとどんな感じなんだろうと考えだす。 縁側の天井や庭の木々、小さな水面などの光がゆらゆらと揺れたり、キラキラするのを見るのも子どもの頃から好きでした。そこにはきっと何かがいるような気がしていましたから。父がよく、「絵に大切なものは、雰囲気や気配を大切にすることだ と言っていました。僕もそれを大切にしているつもりですが、結局僕の描く世界は子どもの頃から変わっていない。幼くて稚拙、そのままの気持ちを描いているだけです。若い頃は、一目で僕の絵だと分かる個性を持たなくては、人と違うところを持たなくては、そう思って描いていたように思いますが、今は、そのとき描きたいと思ったものを自由に描いているんです。 「頭から手が出ていても、ものすごく大きな足でもいい。そのままを描くのではなく、想像することが大切なんだよ」。子どもの頃、父によくそう言われました。雲が動物に見えた、川や山で遊んでばっかりの子どもの頃の延長線上に、僕は今もいるんですね。
きり絵画家 深尾昭彦氏を父に持つ、イラストレータ・造形作家の深尾竜騎さん。グラフィックデザイナーから"きり絵画家"に転身した父の背中を見つめながら成長した。
いつもまっすぐに作品と向き合う深尾さんが語る親子のエピソードに、息子の才能を信じて温かい言葉で励まし、子どもの心や感性を壊すこと無く育てたお父様の愛情を強く感じた。
その先に、時間も場所も飛び越えて、想像の世界で自由に羽ばたく今の深尾竜騎さんがいるのだと思う。(平岡)