聞き手◉平岡京子(vow's space)
子どもの頃から虫や魚、鳥や動物が大好きで
「いきもの」を描くことは、ずっと一貫したテーマです。
「何」ってわかる生き物だけじゃなくて、でも確かに生きているもの。
生きているのは、人間だけじゃないよ、という想いがずっとあります。
子どもの頃は虫捕りや魚釣りが好きでした。
今は年に一度くらい、1人でのんびりドライブしながら日本海の漁港へ釣りにでかけます。
きれいに澄んだ海を見て、食べるだけの魚を持ち帰り、美味しさを味わいながら食べるんです。
自然があってこその贅沢に幸せを感じながら、自然の大切さを改めて実感します。
落書きは、虫捕りや魚釣りを始めるもっと前の
幼少のころから好きだったようです。
魚や虫や動物を広告の裏にいつも描いていました。
母親曰く「足の方から一筆書きで絵を描いたりしていた」そうです。
高校は近所の県立高校。部活はバスケ部。
絵とは無縁のコースでしたが、思い返せば、授業中に落書きばかりしていました。
高校卒業後は絵やデザインの勉強がしたくなり、グラフィックデザインの学校に進みました。
そこでイラストレーションを専攻し、絵にのめり込んでいきました。
社会人になり、イラストやデザインの仕事をしながらも自分のイラストの表現に何か物足りなさを感じていた頃、栃原敏子先生の抽象画の個展を観て、その力強い表現に惹かれました。
栃原先生が抽象画の教室をされると聞き、すぐに通うようになりました。
先生のニューヨークでの個展のお話を聞き、ぼくもニューヨークで個展をする!と何故か確信し、2年後開催という目標を立てました。
そしてちょうど2年後の2001年、その想いは叶ってニューヨークで個展を開催することができました。
ニューヨークの個展で感じたことは、絵やアートの存在が日本よりもとても身近で、アートを楽しむことが生活の一部になっているということです。
お気に入りのインテリアを探すようにじっくり観ながら楽しみ、よろこんで買ってくださる姿に、ぼく自身もワクワクしました。
単身でニューヨークに渡り、充実した日々を過ごせたのは、そこで出会ったたくさんの人たちに支えていただいたおかげです。
ニューヨークでの個展は、その後あわせて4回開催しました。
この頃に出会った仲間は、今でも本当に大切な存在です。
ぼくの描く絵は、抽象的な色や形も含め、すべてが「いきもの」のイメージです。
人や木や動物や魂や…、絵の中で生きているものです。
実態があっても無くても、命を感じるもの、存在を感じるもの、
「いきもの」への想いです。
絵を描く上で意識するのは、「技術は積み重ね」、「イメージは童心」という点です。
固まらず、概念にとらわれず。そうして出てきたものを、納得のいく表現で仕上げたいと思っています。
子どもの絵って、まず顔を描いてみて、そこから画用紙の空間があるところにビヨーンと手足を描いてみたりしますよね。
その自由さが子どもの絵の魅力で、僕もその感覚を失いたくない。
これからもぼくなりの「いきもの」を描き続けます。
一息入れているカフェで、ひさおさんはときどき絵を描いている。 そして、その絵は何気なくFacebookなどにアップされている。
「絵を描いているうちに顔を描きたくなったり、手を描きたくなったりするんです」と笑うひさおさんが描き上げた絵は、鳥のような、人のような、ネコのような、不思議な耳やクチバシ、色や形を持っている。
絵のテーマは何ですか?そんな答えづらい質問に、 ひさおさんはさらっと「いきもの」と答えてくれた。 「生きているのは人間だけじゃない、っていうことかな」と。
そうだった。忘れていたけれど、生きているのは人間だけじゃない。 そういう感覚を普段は完全に忘れているのに、思わずそんな言葉が口をついて出た。 ひさおさんの声を聞いて、絵を見つめているだけで、いきもの同士が思い合うということを思い出す。
ひさおさんが早々に作ってくださった今展のDMには、かわいくて不思議な、怒っているの?笑っているの?夢見ているの?と、声をかけたくなるような、顔や姿がいっぱいだった。 そして、そこに描かれたすべてが、ひさおさんの中で生きている、「いきもの」なのだと確かに感じた。
描かれた「いきもの」たちは、笑っていたり、ちょっと怖かったり、楽しげだったり、見る人によって、不思議なくらいにいろいろな表情を見せる。 「見る人によって受け取り方は違うけれど、 辛いとか、悲しい絵よりは、楽しくて、幸せな絵を描きたい。 見てくれる人たちに少しでも楽しんでもらいたいから」 と、ひさおさんは微笑んだ。 子どものような自由な感性を失うことなく描かれる酒井ひさおさんの作品からは、「辛さ」や「悲しさ」を知っている大人だからこその温かいまなざしと、強さや優しさを感じていただけると信じている。(平岡)